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2003イエティ捜索活動の報告 2003.12.2 |
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その1−捜索活動の概要 その2−監視カメラ撮影結果 その3−目撃 9月27日 その4−足跡の発見 9月28日 |
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期間 2003年8月10日〜10月14日 人員 行程 監視キャンプ設置 ベースキャンプはタレジャ側4,320mに設置し、そこを起点に南東稜稜線上にAキャンプ、コ−ナボン側台地にBキャンプ、さらに下ったキルティカルカにCキャンプを設置し、監視、捜索活動を行なった。 ベースキャンプ=タレジャ側上部台地
(4,320m) 監視活動
Aキャンプは稜線上の自動カメラの設置、フィルム交換作業を中心とし、Bキャンプ、Cキャンプにおいては監視活動及びフン、足跡の捜索など周辺の環境調査を中心として活動した。 ベースキャンプ
32日間 |
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ある晴れた日の午後にベースキャンプにて |
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監視カメラ設置場所 自動カメラはAキャンプの450m先より、上部5100m地点までの南東稜稜線上を中心として設置した。設置場所は過去の足跡目撃現場、遭遇現場などを押さえ、さらに状況に応じて場所を変更するなど、細かく対応した。 Aキャンプから稜線上
19ヶ所 Bキャンプ周辺
2ヶ所 Cキャンプ周辺
5ヶ所 BC上部
2ヶ所 カメラ使用機材 カメラはニコン社と朝日新聞社から提供を受けた一眼レフのカメラが7台とセンサー付きコンパクトカメラ(麻里府商事製)が10台の計17台それぞれにヒマラヤ8000m峰の名前をつけて管理した。 カメラ名
カメラタイプ 設置日数 サガルマータ
ニコンD100 27日間 カンチェンジュンガ ニコンD100
27日間 ローツェ
ニコンF100 18日間 マカルー
ニコンD100 4日間 チョーオーユ
ニコンD100 6日間 ダウラギリ
ニコンF90
27日間 マナスル
ニコンD100
18日間 アンナプルナ1号 コンパクト
14日間 アンナプルナ2号 コンパクト
13日間 アンナプルナ3号 コンパクト
22日間 アンナプルナ4号 コンパクト
27日間 アンナプルナ5号 コンパクト
20日間 アンナプルナ6号 コンパクト
26日間 アンナプルナ7号 コンパクト
23日間 アンナプルナ8号 コンパクト
18日間 アンナプルナ9号 コンパクト
23日間 アンナプルナ10号 コンパクト
16日間 撮影写真枚数 一眼レフカメラは監視カメラとして使用していない際には周辺の写真を多く撮影する努力をした。外国人としてははじめて入域した場所と推測されるため、周囲の環境、花、動物など環境調査にも力をいれた。 デジタル写真撮影
6945枚 監視カメラデジタル
258枚 監視カメラフィルム
44本 手持ちによる撮影
26本 監視カメラの撮影結果 デジタルカメラ撮影分はベースキャンプに於いて、フィルム撮影分は日本で現像したものを精査した結果、写っていたものはテン、ナキウサギなどの小動物のみで、目的のものは写っていなかった。写っていた小動物は非常に鮮明に撮影されているため、センサー、バッテリー等は良好に稼動していたと思われる。南東稜上の設置場所についてはAキャンプより450m先から上としたが、以下報告にある目撃地点はその手前150mの場所であり「まさか人が出入りしているテント場のこんなに近くは通らないだろう」と、カメラを設置していなかった部分を通過してしまったという残念な結果となった。ただし、設置場所として狙った場所は間違いがなかったことが証明された。 |
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最上部5100m地点で深夜0:30に撮影されたテンの仲間。この地点のカメラには頻繁にこの動物が撮影されていた。 |
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カメラの前を通過したためセンサーが稼動して写されてしまった隊員。このように鮮明に「何者か」が写ることを期待していたのだが。 |
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同じ場所の無人時、シャッターが下りているが不審なものは写っていない。熱感知センサーなので「生き物」に反応していることは確か。 |
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◆Aキャンプ 9月27日午前中 朝の気温マイナス4℃、快晴。 朝食後、隊員4名と取材班の2名はAキャンプを順次出発、東南側にあるピーク(4,800m)に登り、この捜索最後となる監視活動に入る。視界良好。 南東約2qにあるマルバスの山頂に誰か2人登っているのが見える(後にキッチン・スタッフと判明)。その他にはコーナボン・コーラ、タレジャ・コーラともに動くものはまったく発見できない。 10時過ぎにコーナボン・コーラにガスが発生し、11時頃には南東稜にもかかりはじめた。監視活動ももはやこれまでと11時30分に全員がAキャンプに戻る。 12時30分、Aキャンプでは昼食のために全員がキッチンテントに揃っていた。そこへベースキャンプの古山伸子から交信が入った。 ◆ベースキャンプ 12時25分(ホームページより) 9月27日12時25分、ベースキャンプは珍しくお天気が良く、昼食後にスタッフたちが外に椅子を持ち出してくつろいでいました。そこへBC隊員(私、古山伸子)も外に出たところ、「隊員があそこにいるよ」と南東稜の上を指差して教えてくれました。そこはAキャンプを出て稜線上のカメラ設置場所に向かう際にはいつも隊員が通るところ。私も「いつものあたりを歩いているな」と確認した後、トランシーバを出し「BCから見えてますよー。歩いているのは誰ですか。」と声をかけました。すると、村上隊員から「全員キャンプにいますが」と。「だって誰か歩いていますよ」 ◆Aキャンプ 12時30分 何気ない古山の交信により、Aキャンプは一気に緊迫した。人影は3人。場所はAキャンプの西側、約300mにある最初のピーク付近。その姿はタレジャ側から稜線に立った後、見えなくなったが、75年カモシカ同人登山隊旧C1跡の方向に移動した可能性があるとのこと。交信を続けている間に、木野、村上、飛田が無言で飛び出し、現場に向かった。しかし、その時点でガスがかかり、BCからの視界は閉ざされた。Aキャンプではコーナボン側から稜を見るかたちで視界はあり、高橋が双眼鏡で稜線を監視する一方、志村はキャンプ内でC1跡地に設置したモニターテレビの画像に目を凝らした。現場に急行した3人は12〜13分で到着、村上はさらにC1跡まで行ったが、その姿がモニター画面に写し出されただけで、人影も足跡も発見出来ない。Aキャンプからの監視も同様で、稜線上に変化はなかった。30分後、高橋も現場に登り捜索に加わる。このピーク付近の稜線は5〜6m幅の雪面であり、そこには隊員が登下降したトレールがあるだけで、他の足跡は見つからない。また、Aキャンプからの監視中には南東稜を越してコ−ナボン側に越下降した様子もなく、たとえ、監視直前に越稜し下降したとしてもこの雪面上に横切った痕跡が残るはずである。結局この日はタレジャ側上部と南東稜稜線上を捜索したが、なにも発見出来ず、天候の悪化も加わり、14時、捜索を打ち切りAキャンプに戻る。 Aキャンプにはロキシー(地酒)売りが来ていた。実はこのロキシー売りが人影発見に一役かっていたのである。この男、ムリに住む村人で、数日前からBCに来ていた。この日、隊員やスタッフが目を離したスキにBCを抜け出し、Aキャンプまでロキシーを売りに登りだしていたのだった。BCのスタッフたちは、目前に連なる稜線を歩くその男の姿を眺めながら、「今、Aキャンプに行っても誰もいないよ。隊員はあそこにいるんだから。」と古山に教えた。その結果が前述の交信となったのである。 BCから人影の地点は左上に見る形となり、直線にして1.5km足らずである。彼らの視力からすればそのシルエットは鮮明に見えるはずである。ネパール人スタッフたちが隊員と思い込むような形態をしていたといえる。それが結果的には通報の遅れの原因ともなった。 |
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27日午前中の監視活動。6名で周囲をくまなく観察していた。 |
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目撃から2時間前のタレジャ側の写真。人間が下の河原から登り始めていればすでに視界に入っているはず。 |
ガスがかかり監視を終了する直前のAキャンプと現場。何者かはこの1時間半後にこの稜線をまたいでいった。 |
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◆目撃者たちの証言 サーダー/ハクバ・シェルパ 他のスタッフに教えられて45秒位見ていた。Aキャンプから上部に向かう最初のピークの下にいた。見たのは一人。いつも隊員が歩いている場所だが、今日は道を外れて少し下の方に居るなと思った。そのシルエットは黒く見えたが、4足歩行ではなく、ヒトのように歩いていた。その後同地点に立った取材班の木野氏と比較すると背丈は150cm程度だった。 古山の質問に対して、クマはあそこまでは登らない。4つ足で歩いていなかったので、絶対ユキヒョウではない、と答える。ただし、ハンターは獲物を追っているときは道のないところを登ったりするのでハンターかもしれないという。 コック/ペンバ・シェルパ 1分以上見ていたと思う。見えたのは3人で、1人ではない。右の人影が左に向かって歩いていた。真ん中の人はしゃがんでいるように見えた。一番左の人は稜線上に見えた。3人ともバラバラに登っていた。 スタッフ/ニマ・オンギャル・シェルパ 稜線の下の岩のところ、雪面よりも右側を左に向かって移動していた。見たのは一人。 後に検討した結果、ペンバが見た3人を右からA、B、Cとすると、サーダーが見たのが「B」、ニマが見たのが「A」、古山が見たのが「C」と思われる。いづれにしても人差し指で差せば全部のその先に収まってしまう範囲。Aキャンプとの交信直後にガスがかかりBCからは見えなくなり、左に移動していたという証言と古山が見たのが「C」だったため、C1跡地方面に移動しているという情報になった。 |
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ベースキャンプから目撃した位置 |
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◆Aキャンプにおける情報の分析−27日夜 BCのネパ−ル人スタッフおよび隊員が南東稜上のピークに人影を複数目撃したことは確実である。交信を受けたAキャンプの隊員はその地点に急行したが、何も発見できなかった。その後、地元のハンターである可能性ありとの情報から、人影の正体を我々が探しているイエティであるか、またはハンターであるかの両面から検討した。ハンターであればタレジャ・コーラから登ったと考えられる。しかし、BCにも立ち寄らず、いきなり南東稜の稜線近くに現れている。この日は午前11時まで視界良好であり、Aキャンプのメンバーは2時間にわたりタレジャ側の斜面をくまなく観察していたが、南東稜に向かうなにものも見ていない。まさに突如として稜線近くに出現したのである。これはもともと岩場の途中にいたものが登り出したとしか考えられない。さらに、人影が目撃されたタレジャ側の谷は、この一帯ではもっとも危険な地形であり、ハンターがそのような場所に入るとは考えられない。仮に登ったとしても稜線上には我々のつけたトレールが残っている。そして近くにAキャンプがあることにも気付くはずである。BCにもAキャンプにも立ち寄ることなく姿を消してしまう行動は理解できないものがある。 以上の点から、人影がハンターである可能性はほとんどゼロであると結論を出した。 それではスタッフたちの見たものはなにか。クマやユキヒョウではなく、人のような形態であり、人のように歩いていたという。しかし、今日の捜索ではその目撃証言を裏付ける証拠を発見していない。BCの隊員とスタッフが見たことは事実であろう。そしてその通りであれば、我々が探し求めているイエティ(バン・マンチェ=森の人というネパール語)である可能性が高い。目撃したスタッフ3人に、見えた通りにスケッチをしてもらうように依頼する。 ◆ベースキャンプ 27日夜 Aキャンプでの捜索打ち切り後、以上の目撃スタッフの事情聴取をしたあと、詳しく場所を特定するため、折笠カメラマンが現場をズームで撮影した映像をモニター画面に映しサーダーに見せる。サーダーは正確に場所を覚えており、画面上でココと指を差し特定する。その場所を言葉でAキャンプに伝え翌日に備える。 |
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| その4−足跡の発見 9月28日 | |
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9月28日 晴れのち曇り、小雪 (捜索活動最終日) 今日は南東稜に設置した16台の自動カメラの回収および昨日の人影目撃地点の調査を行なう。回収作業は上部の半分を飛田、村上が行ない、高橋と志村は昨日の目撃地点で調査をした後、下半分の回収を受け持つ。7時20分、Aキャンプ出発。7時40分、再調査を始める。視界良好という好条件のもと、BCも万全の態勢を整えての共同作業となる。BCより改めて場所の指示を受ける。その結果、サーダーの目撃した場所は、昨日の捜索範囲より支稜1本東側であることがわかった。そこはガリー(岩溝)と岩壁が複雑に入り組んだ地形であり、この付近ではもっとも急峻な一帯である。とても人が登れるところではない。しかし、サーダーの記憶は正確であり、数メートルの単位で位置を指摘してきた。人影は垂直のガリ−を登り、稜線までの最後の10m程は雪のない部分を歩いたという。ガリーを覗き込むと確かになにものかが登った痕跡がある。砂岩質の岩がすり減っている状態はたびたび通っていると判断できる。このようなところを登るとは予想だにせず、16台のカメラはこの先150mの地点より設置していた。その手前を通られたことになる。8時30分、BCにいる折笠カメラマンより交信があり、ガリ−の下方、約80mに雪の斜面があり、そこに足跡らしきものが見えるので確認するようにとのこと。高橋、志村は雪面の見える位置まで下降するが、登攀用具の用意がなく、これ以上下ることはできない。しかし、直下20mの雪の斜面に13個の足跡を確認した。形は明瞭であり、昨日のモノとしては状態は良い。歩行形は、爪先から踵まで接地して歩く蹠行性、目測であるが長さ20cm、幅約10cmの小判型。歩幅は爪先〜爪先で30〜35cmである。上方のガリーに向かっているその足跡の形に乱れのないことから、1人(頭)分と判断される。歩行形は足跡が左右にブレずに一直線に並ぶ独特なもので、この特徴は過去この地域で見たものと同じである。 足跡の確認とガリ−内部の痕跡から人影はBCのスタッフが望見した通り、タレジャ側から稜線に上がったことは明らかである。その後の移動方向は不明であったが、まもなくコ−ナボン側に下降している足跡も発見した。タレジャ側から登り、南東稜を越し、コ−ナボン側に下ったことは確実であるが、越稜地点は幅5〜6mの雪面である。その中央には隊員が登下降の際通るトレールがあるだけで、横切った足跡はまったく残っていない。これは前日の調査時も同様であり、そのため我々はコ−ナボン側を調べることもなく、見当違いの所を捜しまわることになった。幅の広い稜線上に痕跡一つ残さずにコ−ナボン側に移動、しかも、コ−ナボン側には、別々の地点から下り始めた2本のトレースがある。そのいずれも稜上に痕跡を残していないのである。飛び越したのであろうか。結果的にこの行動によって、我々の追跡を絶ったことは事実である。 |
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ベースキャンプから双眼鏡で隊長を現場へと誘導 |
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BCから目撃した現場はこのように見える |
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◆コ−ナボン側の足跡 稜線直下のコーナボン側は、約40度の雪の斜面である。そこに2本の下降した跡が残っていた。少なくとも2個体はいたのである。それは雪の斜面を半分滑りながら下りているため、50cm程の長い足跡として残されている。交互に足を出しながら下った2足歩行そのものの足跡であると思われる。4足動物ではこのような下り方はできない。約200m下で雪はなくなり、どこに向かったかその先は確認できないが、このまま下るとBキャンプのあった台地に下りることになる。なお、足跡の主が移動したコースは、タレジャ側、コ−ナボン側ともにAキャンプから監視するには地形的に死角となっていた。 9時15分、調査はひとまず中断し、高橋と志村も自動カメラの回収作業に加わる。
◆ベースキャンプからの観察 この間、BCでは昨日の目撃者であるサーダーに双眼鏡を渡し、目撃場所から下部を良く観察するように頼む。サーダーの目からみて、人(ハンター)が登った可能性があるか、登れるか、足跡や登ったあとなどあるかを詳細に観察してもらう。30分ほど双眼鏡で観察した結果、サーダーは「人が登れる道はありません」という。またコーナボン側を捜索している隊員の交信を傍受していたが、アイゼンが無いと下れない、ピッケルを使っているなどの交信を聞き、「ハンターだったらコーナボン側に楽に下れる場所がいくらでもあることを知っている。わざわざそんな危険な場所を選ぶということはないので人間ではないでしょう」と証言する。 ◆調査の再開 12時、上部カメラの回収を終えた飛田、村上と合流し、タレジャ側の足跡の調査を再開する。回収してきたフィックスロープを用いて、飛田がタレジャ側の雪の斜面まで下降する。足跡は3時間余りの間に陽射し等によって形が崩れ、特に踵部分が不明瞭となっていたが、状態の良いものを選び、計測と特徴を調べる。その結果、サイズは長さ20cm、幅10cmと朝の目測と同じであった。歩幅は32〜35cmととても小刻みな歩行をしている。足指の状態を確かめることは不可能であったが、爪先に力をいれているため、雪面に深くしるされていた。そしてこの足跡は決して人のものでないことを確信する。13時30分、調査を終了し、Aキャンプに帰着。 |
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雪の上に点々とついていた足跡 |
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トランシーバを置いてサイズを比較 |
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◆結論 BCのスタッフと隊員が観察した人影、さらに現場での捜索と調査の結果、この地域には、既知のクマや猿類とは異なるもう一種類の蹠行性の足跡を残す動物が生息しているとの結論に達した。そして、この動物こそ我々が探し求めていたイエティであると確信している。 通称、イエティといわれている動物には、大小2種類のタイプがあると指摘されている。大型タイプのイエティはヒマラヤのチベット側に生息するヒグマの類がその実体であるといわれている。この大型タイプ=ヒグマ説はすでに1955年のデイリ−メイル雪男探検隊が指摘しており、我々もそのように考えている。チベットでティモと呼ばれているこの動物は明らかにクマの一種であるが、チベットではこれをイエティとしている。(このティモといわれる動物は、東京在住の大森氏が剥製として保管されている) 今回我々の探しているイエティは、小型の方であり、その形態から霊長類の一種ではないかと推測している。 今回の捜索地である南東稜には、以前より正体不明の足跡が発見されている。我々はその足跡の正体を知ることが、イエティの謎を解くカギであると考えていた。そして9月27日に人に似た3個体の姿を望見し、その場所で例の足跡を発見することになった。足跡とそれを残す動物の姿をセットで確認した意味は大きい。その姿を撮影することはできなかったが、目撃したスタッフによれば、「背丈150cm位」で「人のように歩いていた」という。現場の調査でも2足歩行をしている可能性が非常に高いと判断している。しかし、この足跡と歩き方は人間とは明らかに異なるものである。現時点では、これ以上は不明であるが、このような動物が存在することは確かである。 再調査の必要があると考えている。 |
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