高山病対策について

株式会社ウェック・トレック 貫田 宗男

 ヒマラヤ、カラコルム、そして南米の高地を訪れる登山者やトレッカーにとって気になるのは急性高山病(Acute Mountain Sickness、エイ・エム・エス)である。どのようなベテランでも程度の差こそあれ高所の影響はうけるものだ。むやみに恐れる必要は無いが、十分な知識を備え、適切な対策を講じることが大切である。
症状はさまざま

 急性高山病の原因は高所の低酸素でありこれが様々な症状をもたらす。個人差が大きいのも急性高山病の特色であり、発症する高度も個人差がある。まれな例ではあるが、エベレスト街道でルクラ(2,800m)から歩き始めて、最初の宿泊地パグディン(2,600m)で早くも症状を呈する人もいる。たとえば富士登山で頭痛や、気分の悪さを覚えることがあるが、それが急性高山病の初期症状だ。

@まず高所における反応としては次のものがあげられる。1)夜中にたびたび起きる 2)夜間の不規則な呼吸 3)速い呼吸と脈拍 4)運動中の息切れ 5)遅い歩み 6)頻尿。

Aマイルドな急性高山病としては 1)軽い頭痛 2)不眠症 3)食欲不振 4)吐き気 5)むくみ 6)尿の減少(最初は頻尿になり、次に尿の量が減る)

Bさらにすすみ中程度の急性高山病は 1)激しい頭痛(市販の鎮痛剤が効かない) 2)空咳、乾いた咳 3)顕著な息切れ(どんな行為でも) 4)嘔吐  5)顕著な疲労と脱力感

C重篤なもので死亡原因となるものは

 高所肺水腫(High Altitude Pulmonary Edema、ヘイプ)と高所脳浮腫(High Altitude Cerebral Edema、ヘイス)がある。高所肺水腫は安静時の息切れと空咳から泡を伴った咳が特徴的であり、また高所脳浮腫は運動失調(バランスが悪くなる)、意識障害(トンチンカンな応答から始まり、刺激を与えていないと寝てしまう、そして昏睡など)が起きる。症状に気づいてから24時間以内に死亡した例もあるので、最初の段階で症状を見極め、適切な判断をすることが重要だ。

対処療法より予防が第一

予防が大事であり、まずは日程を考慮しなければならない。各宿泊地間の高度差は600m以内に抑えたい。ネパールのゴーキョ谷などは距離が短く、急激に高度をあげられるが、半日行動に抑えるとよい。キリマンジャロなどは小屋間の高度差が1000mもあり、その間の宿泊は許されていないので、途中のホロンボハットで2泊することで対処したい。比較研究されているわけではないが、アジア人種は欧米白人に比べて高所に弱いようだといわれている。現地のガイドやポーター達も同様に感じているようで標準よりさらに慎重な日程を組むことが望ましい。富士山より低い3千m台の山での馴化も重要に思われる。エベレスト街道であれば、ナムチェ・バザール(3440m)で2〜3泊して、体を慣らすのが良い日程だ。

事前の健康診断も必須である。まずは己を知ること。高山病は低酸素が原因であることから呼吸機能検査を含んだ健康診断が求められる。検査項目は最小最低限のものを選んで用紙にしたものを高所低酸素血症研究会(代表増山茂先生)で作成した。その健康診断の結果をもとにして、さまざまな対策を講じることになる。中高年になれば慢性疾患を持つ人は多く、常時服用している薬が高所で合わないこともあるだろう。また、慢性疾患が高地で悪化した場合どんな処置をとるか、主治医や専門医と十分に相談しておく必要がある。交通機関や医療機関から遠く離れた高所へ行くには、健康診断やそれに基づく自己管理を避けて通ることは許されない。

事前の準備がすべてそろえば出発だ。限られた日数の休暇を確保するために、出発前には無理をしがちだがなるべく体調を整えるようにしたい。また山に入る前の都市滞在時での食事にも注意したいし、見学や観光で疲労してしまわないように気をつける。

高所に着いてからも、ゆっくり歩き、トップを競うなどしないことだ。過労も避けたい。登山の教科書に宿泊地で就寝前にそれ以上の高度をあげておいた方が良いと書いてあるのに忠実に疲れた体で登っていく人がいるが、重要なのは体力の温存である。若い登山者ではどんどん低酸素の負荷をかけて、スピーディーに馴化することも可能だが、中高年はその前に体力を消耗しきってしまうことの方が怖い。調子をよく見ながら、ゆっくり登ることがうまく馴化するコツである。調子が多少悪い時も寝込んで換気量を減らさぬように軽い散歩など適度な運動が良いようである。

起きている間の呼吸方法も重要だと言われている。息を吸ったときにお腹が膨らむ腹式呼吸は換気量が多くなる。横になってお腹と胸に手を当てて上下するのを感じながら呼吸してみるとわかりやすい。出発前に自宅で習得しておくと良いだろう。

 高所は乾燥しており、呼吸も増える。また下痢をしているとなおさら脱水が心配である。高所では喉の渇きもあまり感じなくなるらしく、意識的に水分の補給をしなければならない。ただし、最近、現地で放置されるミネラルウォーターのペット・ボトルは大変問題になっており現地で沸かしてもらった湯ざましを利用したい。

馴化の目安となる酸素飽和度

 体調を把握するには、以前は呼吸数と脈拍数など限られたデーターで判断していたが、最近では採血することなく、動脈血中の酸素飽和度を計測できる超小型のパルスオキシメーターが登山隊やトレッキングの関係者で使われている。病院でも看護師が体温などのバイタルのひとつとして、ポケットに入れて病棟を回り、計測しているのを見たことがあるかもしれない。馴化の度合いを酸素と結合している動脈の赤血球ヘモグロビンの割合、酸素飽和度SPO2(エス・ピー・オーツー)を計測することである程度判断できるのだ。平地では97%以上が正常値で、90%を割ると酸素吸入を開始、80%を下回ると危篤状態とされている。しかし私たちは長年の登山現場での計測をかさね、4千メートル付近をトレッキングする場合、おおよその安全値は80%以上、さらに睡眠時は50%台という信じられない数値をも見ることもあるという経験からの知識を得ている。

高所低酸素血症研究会の新井康弘先生がこの会の会員であるトレッキング会社数社の協力を得、世界各地で測定された千例ものトレッカーの酸素飽和度をまとめ報告されたが、以下はエベレスト街道での414例、17歳から71歳までのトレッカーのデーターである。

標高(メートル)

2350

2700

3500

3900

4400

4800

酸素飽和度平均(%)

93.2

91.1

85.8

84.5

82.6

78.7

標準偏差(%)

2.5

2.6

4.5

5.2

4.8

5.6

危険値

(平均−標準偏差x2)

88.2

85.9

78.8

74.1

73.1

67.5

 各高度で平均値から標準偏差の2倍を下回っている人は馴化が追いついていないと考えられる。危険値を下回るようだと標準とは言えないということだ。

 最近では在宅酸素療法を対象に様々な小型のパルスオキメーターが開発された。しかし、ほとんどの機材が登山用には考えられていない。特に廉価のものは寒冷などで抹消循環がわるくなった際に値がとれないことがあるので注意されたい。

注意したい薬物の使用

  高所ではいかなる薬物もその使用には慎重でなければならない。特に中枢神経に作用するようなものには気をつけたい。最近、中高年登山者に魔法の薬と評判なのが、ダイアモックス(薬剤名アセタゾラミド)であるが呼吸中枢を刺激し呼吸を促進させる作用があり、これさえ飲めば高山病を防げると信じる信奉者も多い。しかし、国際登山医学会では、予防としてのダイアモックスは例外を除き、すすめてはいない。余裕のある日程さえとれば高所には十分に対応でき、薬に頼る必要は無いという理由からで、使用がすすめられる例外とは:

1)救助などで急激に高度をあげなければならない人。

2)過去に何度も高度障害を経験した人。

3)夜間の周期性呼吸で睡眠を妨げられる人。

 ダイアモックスへの過信から高山病の症状が出ていても、登高を続けた結果重篤な高山病に陥った例は多々ある。薬に頼らない自然な馴化がやはり一番であると考える。

 また、このダイアモックスは高山病対策の薬としてはマイルドなものであるが、それでも副作用はある。多いのが手先の痺れ感、頻尿、味覚の変化などである。またスルフォンアミド系の薬物であるので、この薬剤にアレルギーのある人は服用できない。

 予防におけるダイアモックスの服用方法もまちまちである。もともとが利尿剤であることから、夜間の頻尿による睡眠不足を防ぐために朝一回の服用を説く医師もいる。しかし、主な目的は呼吸中枢を刺激して夜間の換気量を増やすことにある。薬の半減期(血中の濃度が半分に減少する時間)が10時間なので、朝服用するとその夜の効用は期待できない。一日750mg(3錠)以上でないと効果がないという報告もあるが、経験的に250mgで痺れや多尿などの副作用も少なく、効果も同等という説が、体重の軽い日本人には適当であるかと思う。予防には朝、晩、12時間ごとに125mg(半錠)づつ、一日の計が250mg(1錠)という服用だ。しかしまだ本格的な至適投与量の比較研究はなされていない。

専門的な薬としては脳浮腫の治療にデキサメサゾン(商品名デカドロン)というステロイド剤が使われている。映画「バーティカル・リミット」でも生死を分ける薬として登場したが、映画ほど劇的には効かないようだ。しかし、1996年のエベレスト大量遭難では、それなりの効果はあったと言われている。リバウンドなどの危険性があるので、医師の指示のもとで使用されたい。また肺水腫の治療にはニフェジピン(商品名アダラート)が使われるが、これも血圧が下がるなどの副作用があり、医師の指示が必要である。最近は衛星携帯電話の携行が僻地の高所では常識化しているので、緊急時の対応としてこれらの劇薬も用意しておき、衛星電話で医師の判断をあおぎながら使用することになる。自己判断で使うことは危険だが、知識は持っておくべきであろう。

急性高山病の症状のひとつとして不眠があげられる。体力を消耗するトレッキングで眠れないというのは辛いものである。日本の山では最近睡眠薬を使うことが多いようだが、高所では呼吸抑制を起こす可能性があり危険だ。不眠の原因として周期性呼吸の場合があるので、ダイアモックスを睡眠薬の代わりに服用をすすめる医師も多い。

他にもイチョウ葉エキスの服用で急性高山病の発症率が半分になった、またアスピリンの予防投与で頭痛の発症率を50%から7%へ減少させたという報告もある。漢方薬を予防に使われる方も多いが、比較研究はないようだ。

しかしなるべくなら薬物に頼ることなく、体調を整えて余裕のある日程で高度馴化をとげるトレッキングを楽しむのがベストであると考える

治療はまず下山

  高山病の症状が出れば、すぐに下山というのが高所トレッキング・登山の「常識」である。高山病の対処法はまさに下山につきる。しかし、頭痛などはほとんどの人が経験するし、軽い頭痛ですぐに下山するのは現実的でないだろう。どの程度の症状で下山すべきか登山を続行できるのかその判断はプロのガイドでも大変難しい。

 前述の初期の症状であれば、日程をすすめることもできるが、できることなら一日その高度にとどまった方が良い。軽症でも我慢できないようなら数百メートル下山するだけでかなり改善されるはずだ。軽い頭痛ならばバッファリンやブルフェンなどの鎮痛剤も効くが、頭痛に他の症状が加わり、かつ酸素飽和度が平均値をかなり下回るようであれば、ダイアモックス(250mg錠)を一日朝夕1錠づつ服用すると効果的であろう。症状が消え、酸素飽和度が改善しても1〜2日間は継続して服用した方が良い。頭痛以外の症状が残るうちは新しく高度を稼ぐことは避けたい。

 馴化中の酸素の使用は世界の登山医学界での「常識」では、「高山病の症状を隠す」や「馴化が遅れる」などの理由で、積極的な使用は不可とされている。しかし、私の経験からは症状が軽い段階で、10分間程度の短時間の酸素吸入が、初期の呼吸抑制をとるような気がする。それでも改善しない場合は、さらに吸入時間を増やす。酸素ボンベの数量も限られているだろうから、パルスオキシメータでモニターしながら、酸素飽和度90%を越えるぎりぎりの流量にする。夜間の少量の酸素吸入も効果がある。

 停滞しても改善しない場合は即下山した方が良い。留まっていてもよくなる可能性は少ない。その際に注意したいのは患者を一人にしないということである。最近ではネパールなど、簡単にヘリコプターを呼ぶこともできるが、確実性が低ければ、ポーターを使って搬出した方が良い。ヘリコプターで搬出を待つ間は、酸素ボンベによる酸素吸入、PAC、ガモフバッグなどの携帯加圧装置を使っての加圧で対処する。デキサメサゾンやニフェジピンなどの薬物も衛星携帯電話などを使って医師の指示を仰ぎながら投与する。早くおろせば、それだけ早く回復する。おろすタイミングを失うととりかえしのつかないことになる。

 以上、高山病対処法を述べたが、最近高所で亡くなる登山者の死因が、高山病である高所脳浮腫や高所肺水腫ではなく、病理解剖がなされておらず確定はできないが脳卒中や心筋梗塞など心血管系の障害によるものではないかと思われる。中高年トレッカーが増大した結果かもしれないが、たとえ医師でも対処は難しい。ツアーガイド(リーダー)にできることは脱水を防ぐための水分の補給がせいぜいであろう。この意味でも事前の健康診断は必須で、それ以上は登山者個人のリスクのとらえかたであると思う。

高山病の対策は機材やバックアップ体制の準備だけでなく、経験から得られる知識によるものも大きい。経験の少ない個人では充分な対応は難しく、トレッキング・ツアーの主催者やツアーリーダーのノーハウに頼らねばならぬことも多いだろう。そして当然リスクの回避のためにはコストもかかるはずで、廉価だという理由だけでツアーを選ぶのは問題だ。慎重に信頼できるツアー主催者をの選択しよう。

高山病対策に関する世界のスタンダードは以下、国際登山医学会(ISMM)の登山医学情報センターのインターネット・サイト(英語)をご参照ください。

http://www.ismmed.org/np_altitude_tutorial.htm

 

日本登山医学会増山茂医師が急性高山病をわかりやすく解説しています。ぜひ一度目を通してみてください。

日本登山医学会「トレッカーのみなさんへ