タクティクス

 登山隊員の他、医学部から高所医学、理工学部から放射線学と気象学の学術隊員加えて20人の隊員を選出しました。
 冬の北西からのジェットストリームが弱まり、ベンガル湾から発生したモンスーンにとってかわるときがヒマラヤで一番天気が安定するといわれ、登頂は1995年5月10日前後とし、登山計画をたてました。
 気象の情報から登頂時期を判断することが最も重要だと考え、気象衛星ノアをBCで受信し、ニューデリーとタシケントから発信される気象FAXの受信、気象ロボットの観測等エベレストの局地的な気象情報を東京にインマルサットの衛星電話で送り、(財)日本気象協会から天気予報出してもらうというシステムを作り上げました。
 過去8回の失敗した行動表を分析し、この尾根に最も適切なタクティクス(戦術)を研究した結果、完全なるロジスティックス(後方支援を含む登攀の進め方)を組み立てた上での極地法(包囲法)登山でのぞむことになりました。悪天候につかまっても補給が途絶えないよう、バックアップ体制を確立し、しかもノーマルルート(北稜)からのサポートは入れずに完璧な戦術を実現するものです。
 23人のクライミング・シェルパは全員がエベレスト登山の経験者で2人の名サーダー、ラクパ・テンジンとナワン・ヨンデンにシェルパ等の管理を任せました。また、今回初めて使用した新型軽量のロシア製酸素ボンベ(4リッター、300気圧)は従来のフランス製ボンベの2倍の能力があり、万全の体制で未踏の北東稜に挑むことになりました。
 私たちは、環境の問題にも積極的に取り組み、無煙式ゴミ焼却炉をBCに設置、ごみの減量に努めました。高所では世界初の試みで、太陽電池でファンを回し、燃焼時の排煙煙を減らすことができました。使用済み酸素ボンベは回収し、ロシアに送り返してリサイクルをはかりました。