高所トレーニング

 若手中心の隊員構成で、経験不足は否めない現実でした。ランニングを中心とした体力トレーニングは個人にまかせ、富士山、八ガ岳、剣岳八ツ峰等で氷雪トレーニング合宿を重ねて行きました。しかし富士山より高所がない日本での限界を感じ、出発まで1年という差し迫った時期でしたが1994年6月にマッキンリー(6,194m)、9月には世界第6位の高峰チョオユー(8,201m)へ高所トレーニングのための登山隊を計画しました。
 マッキンリーは、天候にも恵まれ順調に登頂に成功しましたが、チョオユーでは、高所順応が不十分でアタックした結果、凍傷者や頂上直下でのビバークなど遭難すれすれの行動となりました。3名がひどい凍傷で帰国後長期の入院が必要となりましたが、そのうち田村隊員だけはなんとかエベレストの出発に間に合わせることができました。