BC建設

3月22日 晴
 本隊の古野、井本、忍田、野本、原田智、田村、鈴木、森山はシガール発、BCへ。
 池田、永井、原田義はシガール滞在。
 神崎、家口、白石、大前はニエラム滞在。高所順応トレーニング。

3月23日 晴
 本隊はBC滞在。1980年、1988年の日本山岳会隊と同じ場所にBCを建設。
 池田、永井、原田義はシガール滞在。
 神崎、家口、白石、大前はニエラム発、シガールで池田達と合流。

ABC建設

3月24日 晴
 本隊はBC整備。
 池田、家口、大前、原田義、永井、NHK7名、共同通信2名はシガール発、BCへ。
 神崎はシガール滞在。

3月25日 晴
 BC滞在。ABC建設のため隊荷整理。池田、古野、井本、ラクパ、ナワンで今後の打ち合わせを行う。

3月26日 曇のち雪
 BC滞在。約束のヤクが到着しない。午後、後発のTMAで預かってもらっていたチョオユー隊の残りの隊荷がBC到着。夕方やっとヤク51頭が雪の中を登ってきた。

3月27日 雪
 BC滞在。終日降雪。原田智は食中たりで点滴を受ける。キッチンボーイは肺水腫でガモーバッグに2回入れ治療するが回復せず翌日カトマンズへ帰すことにする。

3月28日 晴
 BC滞在。朝からヤクの積み荷の分配。ヤクの必要数は200頭なので4回に分けて1回5日間のロ−テーションで荷揚げすることになった。
 午後、第1回目のヤク荷揚げが始まり、古野、忍田、野本、田村、シェルパ14名がC1(5500m)入り。

3月29日 
 古野、忍田、野本、田村、シェルパ14名は、C2(6000m)入り。
 野本は歩行速度が遅く大幅に到着が遅れたため足に軽い凍傷を負う。
 積雪と寒さのため、ヤクの動きが悪く、疲労困憊でC2に到着。
 池田、森山、唐、ギャルブはC1往復。他はBCの整理。

3月30日 晴
 古野隊C2に停滞。野本は凍傷の治療のためBCへ下山。 池田隊C1入り。強風で6千〜7千メートル級の山は一日中雪煙をあげていた。

3月31日 晴
 古野隊ABC(6350m)を建設。池田隊C2入り。今日も強風で寒くヤク輸送はC2までで下山することになった。
 
4月1日 晴
 ABCの古野隊は天幕をたたみBCへ下山。池田隊はABCを往復。

4月2日 晴
 池田隊は井本とシェルパをC2に残しBCに下山。野本の足の小指の感覚がまだ戻らない。第2回目のヤク51頭がBCを出発。

4月3日 晴・強風
 BC滞在。休養停滞。

4月4日 晴・強風
 BC滞在。休養停滞。
 ロシア隊が近くにBC建設。台湾隊の高氏来訪。
 夕方、C2からシェルパとヤクが下山。平山、野口BC入り。野本は凍傷治療のためシガツェの陸軍病院へ神崎、鈴木同行。

4月5日 晴・強風
 BC滞在。隊荷の整理など。

4月6日 晴
 ABC建て直しのため古野、田端、原田智は、シェルパ6名と第3回目のヤク51頭とともに出発。夕方平山、池田、神崎、井本の話し合いの中でC8建設の案が出る。

4月7日 晴
 古野隊はヤクと共にC2入り。

4月8日 晴
 古野隊はABC建設。
 池田隊はBC出発C2入り。